2 バミューダ沖事件(飛行機) - UN-UNSOLVED オカルト異説総合検証サイト

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1.続・バミューダトライアングル

フロリダ沖にあるバミューダトライアングルでは、船舶や飛行機が忽然と姿を消してしまうという。

重要なのは個々の事件が本当に「消滅」と言えるものかどうかである。
ここではプラズマトンネルを証明する事件の一つとして紹介されているグラマン機消滅事件について真相を紹介しよう。
以下は「ハインズ博士超科学を切る」による。





2.1 第19飛行中隊失踪事件-概要-

第一九飛行中隊は、アメリカ空軍中隊の雷撃機五機からなる。
これらは輸送機をもとにつくられた雷撃機で、一機あたり三人の乗務兵が塔乗していた。
飛行任務は空軍中尉チャールズ・C・ティラーの指揮により命じられた。
中隊はフロリダ州のフォートローダーデイルにある空海軍基地を1945年12月5日午後2時頃に飛びたった。
飛行計画では、まず東方向に進み、北に転じて100キロメートルほど進んでから旋回して南西方向に機首を転じ、
そのまま基地にもどってくる予定であった。
操縦士も乗組員も「経験を積んだ航空兵」であったという。
ところが経験を積んでいるはずの航空兵たちは、奇妙なことにも迷子になってしまう。
「理想的な飛行条件が整っていた」にもかかわらずである。
操縦士間や基地との無線連絡によって、何かおかしなことが進行しつつあることが明らかになった。

「何もかもおかしい!!
 奇妙なんだ。
 海もいつものように見えない」

と操縦士が伝えてきたことを、この事件を紹介しているトンデモジャーナリストガディスはさらに
こう付け加えて引用している。

「明らかに海が変に見えるだけじやない。太陽が見えないんだ」

その後航空機と乗員は、広範囲の調査にも関わらず跡形もなく消えてしまったのである。

しかし、事件はこれで終わらない。

さらに、行方不明となった五機の航空機の捜索に夜遅く向かった航空機も、同じ運命をたどり
失踪してしまったのである。



2.2 第19飛行中隊失踪事件-嘘真相-

トンデモ作家ベルリッツは情報を提供している。

「海軍の公聴会に参加した行方不明になつた兵士の母親の一人は、その席上、<自分の息子は
宇宙のどこかでまだ健在であるという印象を受けた>と述ベている」

彼はさらに
「兵士たちは現在なおこの地球にいるのだが、UFOにしかつくりだせない磁気現象によって
別の次元にいる」という現地の「科学者たち」の見解に同意しながら紹介している。



2.3 第19飛行中隊失踪事件-真相-

第一九飛行中隊の人員は、決して熟錬した航空兵ではなかったことがまず判明した。
この飛行は、実は航空訓練の一環だったのである。
指揮官テイラ-中尉を除けぱ、ほかのパイロットは飛行の経験が浅い訓練生であった。

「理想的な飛行条件」というのもまつたくのつくり話で、それにテイラ-中尉が飛行した時には
コンパスが二つとも故障していた。

本当の天候は「普通かやや訓練飛行には好ましくない」ものだったという。
最大31ノット(秒速28メ-トル)の突風が吹いていたし、海も荒れ模様だったのだ。

天気予報は、午後六時頃までににわか雨が降ることを伝えていた。

1945年12月5日の日の入りは午後5時29分である。
ここで確かめておく必要のあることは、1945年当時の航空幾には、航路指示装置が
装備されていなかったことだ。
(今では個人所有の小型飛行機でさえ装備している)。
そのため第一九中隊の操縦士は、コンパスの磁針と気流計だけを頼りに飛行していた。

厄介なことに、気流の速度は飛行機そのものの速度とは異なる。
風向きや風速によって、飛行速度より大きかったり小さかったりするのだ。
さらに運が悪かったのは、唯一経験のある中尉の飛行機のコソパスが故障していて、
航路指示をだせなかったことである。

正しい航路を訓練生に判断させねぱならない始末であった。
それに航路は海面のはるか上空で、目印となる目標物はなかった。

以上紹介した悪条件だけでも、熟練したパイロットならぱ危険があると判断するだろう。

しかしながら、ほかにも深刻な悪条件が重なっていた。

テイラ-中尉はまだフォ-トロ-ダ-デイルにきたばかりで、基地からの飛行経験は
事件の前二週間しかなかった。

パシフイックシアタ-からの転任後、フロリダでの飛行任務はマイアミ基地を起点にしたもので、
それが八カ月ほど続いていた。
つまり、第一九中隊を率いて出発した時、彼は経験の浅い空域を飛んでいたのだ。

かりにマイアミから出発していれば、ロ-ダ-デイルからの場合とは違って、
フロリダ小島群付近を飛ぶことになつていただろう。

悪天候、装備不全、経験不足などが重なり、当然予期しうることだが、離陸から1時間20分後、
テイラー中尉は自分がどこを飛行しているのかわからなくなってしまった。

航空機事故調査委貝会の発表によると、この時中尉は管制塔に方向を問い合わせてきている。

そして
「きっと今フロリダ小島群あたりを飛んでいるだろう」
といっていたそうだ。

だんだん空が暗くなるにしたがって、飛行状況は混乱をきたしてきた。

この時の操縦士間の無線のやりとりは沿岸の施設で録音されていて、調査委員会の報告書を
含む関連書類中に採録されている。それを読むと、中隊は自分たちがどこにいるか皆目見当がつかなかった
様子で、混乱も頂点に達していたことがわかる。

テイラー中尉はニ時間ほどの間に、何度も方向転換を指示している。
そのなかには180度旋回もあった。

重要な点は、一般のトンデモ本で再現されている飛行中隊の交信会話は、公的記録のなかには
見つからないことだ。
これもまた、物語を面白くするために、事件後トンデモ作家がでっちあげていたのである。

午後5時29分の日没までに、飛行中隊はニ時間ほど悪天候のなかをさまよっていた。
海上で目印もなく(もちろん空港などない!)迷ってしまったとなると、一人前の操縦士にとっても
恐ろしい事態である。
しかも彼らはまだ訓練生だったのだ。

恐怖はしぱしば頭脳の働きを狂わせ、合理的な行動がとれなくなる。

たとえ経験を積んだ人間でも、これだけひどい緊張のなかではしっかりした行動判断をくだすことはできないだろう。
ティラーがあまり役にも立たない方向転換を何度も命じているのは、恐怖が原因だったと思われる。

この間ずっと飛行中隊と沿岸基地との間の交信感度は悪かった。
ティラー中尉は、訓練用の固定周波数から感度のよい別の周波数へと、交信波のチャソネルを変えていない。

この事件について調査したクッシェの推測では、中尉は恐怖のため周波数を変えることを思いつかず、
訓練生もその操作を正しくできなかったため、五機とも基地と無線交信ができなくなったらしい。

日が暮れるにつれて飛行中隊はますます基地から遠のいていき、交信は絶望的となった。

では彼らはどこに飛んでいったのか?

これが実は、バミューダトライアングルではないのだ。
行方不明の飛行中隊が遭難した地点は、方向指示命令の記録に基づく相対的位置から計算された。
それはトンデモ作家が指摘している海域のはるか北方で、フォートローダーデイルから500キロメートル北、
フロリダ沿岸からおよそ320キロメートル東の地点である。

日が沈んでからすでに35分経遇した午後6時4分、タ闇のなかを飛行している時のことだ。

中尉が中隊にこう命令しているのが無線から聞こえてきた。

「西のほうにずっと進むんだ。
 そんなに東に行ってはいけない。
 もう一度旋回しよう。
 東に行くよりは、Uターンしたほうがましだ」

もちろん、東に飛んでいけば陸に近づくどころかどんどん遠ざかってしまう。
しかし次の時点で、テイラー中尉が明らかに自分のいる位置について混乱しているのがわかる。

午後18時18分、彼は今度はこう命令している。

「旋回しろ。
 ガスから脱出するまで東ヘ飛べ」

不運だったのは、無線交信から計算した航空機の相対的位置を、基地から中隊へ伝えられなかったことだ。
無線交信システムと交信周波数に不備があったからである。

燃料は午後7時頃には切れることになっていた。そのためやむをえず、
不時着水を試みざるをえなかったろう。

テイラー中尉は以前に2度ほど、大西洋に不時着水した経験があったが、
その時とは条件がまったく異なっていた。
前の時は昼間だったし、救命船も待機していた。しかし今度は夜間の荒れた海上に着水することになる。
それに水上に降りることは、たとえ条件がよかったとしても決して容易なことではない。

雷撃機が着水する場合、通常、時速130キロメートルほどで機体が水面に接触する。
それほどの衝撃をまともに受ければ、誰もが昏倒し意識を失ってしまうだろう。

一番うまい着水の仕方は、最初に尾翼の底を接触させ、ついで機首を降ろしていくやり方だ。
機首から突っ込んだりすれぱ、操縦士の命は保証できない。
それに尾翼を下げて着水するには、第一に水面が見えなけれぱならないし経験が必要であった。

夜間であったことと、ティラー中尉以外にその経験がなかったことがそうした着水を不可能にしていた。

海が荒れていたことも忘れてはならない。

着水は死ぬも同然のことだったのだ。


世に流布している物語とは違って、雷撃機は耐波性のない航空機であった。
着水しても、30秒から1分ほどで“鉛のバナナ”のように沈んでしまうそうだ。

また、機体からはいでて救命ボートに乗るのも決して容易なことではなかった。
操縦士と乗組員は機体からでて翼の上に(荒れた夜の海で)立ち、ボートを引っ張りだして
膨らませてから乗らねぱならない。

それに加えて、着水の衝撃のため兵士たちの多くが負傷していることは
確実であり、重傷の者もいることだろう。

そしてこうした何もかもを、経験のない恐怖にうちひしがれた人間がやり通さねぱ助からないのだ。

機体が沈むまでの90秒の間にである。

悲劇的にも、以上の作業は遂行されることはなかった。
生存者がいなかったこと、救命ボートが漂流していなかったことが、

着水に失敗し救命ボートを用意できなかった悲惨な状況を物語っている。


おそらく幾人かはなんとか脱出し、パニック状態で海に飛ぴ込み、溺れ死んだことだろう。
広大な海原で遺体を見つけるのは至難の技である。全14人の兵士の大部分は衝撃で重傷を負い、
なすすべもなく機体もろとも沈んでいったことだろう。

この遭難事故は悲劇的であり、起こりそうにもないものだが、決して謎に包まれてはいないのである。

第一九飛行中隊の物語は、行方不明の五機に向かった航空機が、同じ運命辿って失踪したという
事実によって、さらに謎めいた筋書きとなっている。

捜索の命を受けたマリナー機が離陸したのは、夜遅くではなく午後7時30分であった。

マリナー機は戦闘兵たちから“空飛ぶガスタンク”と呼ぱれていた。
燃料ガスが臭っていることが多かったからだ。

そのため「操縦士がうっかり煙草を吸ったり、ほかの原因でスパークが飛んだりすると爆発する
危険があった」のである。

離陸後20分の推測地点で空中爆発が観測された。

明らかにマリナー機は爆発したのだ。
この死亡事故がもう一つの悲劇であった。

しかし、決して謎めいてなどいないのである。


3.結論

近年で一番有名な事件の真相が以上であった。
亜空間に消えていた方が遥かに救われる事件であった。
しかし、事実はそうではなかった。

絶好の天気でもなかった。

プラズマが関与する余地もなかった。

近年において、バミューダ海域が他の海域に比べて海難・航空事故が多いという事すら
怪しい話ではないだろうか?
原因が解明されていない事故の数は恐らく他の地域と大差はないものと思われる。

ここまで調査したクッシェという人物には頭が下がるばかりである。

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